モンテビデオ(ウルグアイ) comunica | 2015年1月13日 2015年1月13日 ブエノスアイレスから高速船で3時間(ピースボードで1日)の近さにある、ウルグアイの首都モンテビデオ。 ラプラタ川に面した落ち着いた雰囲気の街。 ウルグアイの総人口は約300万人、モンテビデオの人口は約100万人の小さな国。 ツアーは「モンテビデオ観光とディナーショー」。 街の中心、独立広場にあるサルボ宮殿。 そして国会議事堂。国会議事堂の内部はまるで教会に入ったような感じ。 古い町並みはまるでヨーロッパ。 土曜日の午後で、海岸は多くの人々で賑わっていた。ラプラタ川沿岸なので、水は真水とのこと。海岸ではなく川岸かな。このあたりのラプラタ川は世界一の川幅200kmと広い。 ディナーショウは、美味しいワインとチキンを食べながら、ガウチョ(カウボーイ)達の音楽ミロンガや、タンゴや、ユネスコ世界無形文化遺産に登録された伝統打楽器音楽「カンドンベ」を楽しんだ。 国の主要産業は、牧畜業。肉の主な輸出先は中国とのこと。お米も作っていて、その輸出先は中国。南アフリカでも中国の比重は大きいようだ。
ブエノスアイレス(アルゼンチン) comunica | 2015年1月10日 2015年1月10日 ラプラタ川の河口にあるブエノスアイレス。ラプラタ川から黄色い砂が大量に流れ出していて海の色は黄色く、水深は浅い。海上には一定間隔にブイがあり、それに沿ってゆっくりと入港。そしてコンテナ埠頭に着岸。 ツアーは「ブエノスアイレス観光とアルゼンチンタンゴ鑑賞」。出発時には土砂降りの雨が降っていたが、バスを降りて観光する頃には晴れてきた。 ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれ、ヨーロッパ風の街並みとなっている。ヨーロッパからの移民が大半を占め、アフリカ系は人口の5%ほど。 道路には上が黄色・下の部分が黒のタクシーが多く走っている。 スペイン、イタリア、フランスからの移民が多いので、宗教はカトリック。 最高級の人々の墓地、レコレタ墓地。映画などで有名になったエビータの墓もある。お墓とは思えないほど、りっぱだ。 大聖堂(カテドアル・メトロポリターナ)の大司教だった方が現在のローマ法王。大きく、荘厳で美しい。 ブエノスアイレスの中心オベリスコと大統領府。 日本でいえば銀座に相当するフロリダ通り。浅草にあたるボカ地区。ボカ地区は港の近くにあり、タンゴ発祥の地。 そして、夜はタンゴハウスでタンゴ鑑賞。「かぶりつき」から見るタンゴは大迫力。バンドネオンの音が心に響き、切れの良いダンスに酔いしれた。 昼食にお肉とワイン、夕食にお肉とワイン、タンゴハウスでシャンパン美味しいお酒に、本当に酔いつぶれていた人もいた。
日常的なメンテナンス作業 comunica | 2015年1月8日 2015年1月8日 船は航海をしながら、常にメンテナンス作業を行っている。 あちこちに「ペンキ塗り立て」や「工事中」の標識がある。 海風は金属の腐食を進行させるので、ペンキ塗りはかかせないようだ。
リオデジャネイロ(ブラジル) comunica | 2015年1月7日 2015年1月7日 9日間にわたる大西洋横断を経て、ブラジルのリオデジャネイロに到着。 大都会!曇っていて、遠くのコルコバードの丘のキリスト像は霞んでいた。 リオのツアーは観光ではなく、「ファベーラ(スラム)に響く未来へのリズム」現地の人との交流を選択。 観光客は足を踏み入れてはいけない、と言われているスラムを訪れるというもの。ピースボートならではの企画。 世界で最も貧富の差が大きい国のひとつ、ブラジル。リオには、仕事を求めて地方からやってきた人たちが「空いている」土地に住み着いて作られた「ファベーラ」と呼ばれるスラムがいくつもある。 ファベーラのひとつ、ビガリオ・ジュラウ地区を訪れた。2年前のツアーでは、カメラを構えたら、ピストルを向けられたこともあると脅された。地区に入るとこちらが緊張しているためか空気が張り詰め、ドブの匂いが漂っていた。 訪問先は、貧困と犯罪の悪循環を音楽やダンスで断ち切ろうとしているNGO「アフロヘギイ」の文化センター。 ぞろぞろと歩いていくと、子供たちがついてきた。文化センター内と、NGOの人が「ここは大丈夫」と言われた場所でのみ写真を撮った。 子供たちは無邪気で元気だ。 「アフロヘギイ」の若者たちのリサイクル打楽器(石油缶・ドラム缶など)演奏を聴く。聴くというよりもリズムに酔うといったほうがいいかな。 その後、太鼓を一緒に叩いたり、ダンスをしたりの交流を行った。 怖いイメージしかなかったスラムだが、そこで活動しているNGOの実績を知り、子供たちの可能性は同じようにとっても大きいことを感じることができた。 最後に「幸せなら手をたたこう」を歌った。言葉のわからない現地の人たちも一緒に手をたたいたり、足を鳴らしたりしてくれた。音楽は世界を結んでくれるね。
スペイン語講座 comunica | 2015年1月4日 2015年1月4日 南アメリカが近くなって、泥縄だけどスペイン語講座(無料)の受講を始めた。 1 uno(ウノ) 2 dos(ドス) 3 tres(トレス) … 数字から始めた。 講師は飽きさせないように、クイズミリオネアなどを用意して楽しく受講できるようにしている。 お部屋の掃除をしているホセ(ボリビア人)さんと コモ・エスタス?(元気?) ビエン・イトゥ?(元気だよ。あなたは?) 少し会話ができるようになったかな。
2015年元旦 comunica | 2015年1月3日 2015年1月3日 明けましておめでとうございます。 2015年元旦は大西洋上で迎えた。天候に恵まれ水平線から上る初日の出を見ることができた。 初日の出を見るのは初めてのことかもしれない。 厳粛な気分になって、皆の幸せを祈った。 船尾には段ボールで作ったピースボート神社が祀られていたが、あまりご利益がありそうもない感じ。 炎天下で餅つき。今年最初のボランティアとして、餅つきに参加。餅つきの補助をしたり、つきたてのお餅を丸めて振舞う時の餡子(あんこ)盛り付け係をした。炎天下での40Kgの餅つき、3時間の作業は汗だくだった。その後で食べた自分で作ったお餅はとっても美味しかった。 その他のイベントとして書初め・お茶会などもあった。 お正月には欠かせない、お神酒の販売(普通は無料だろうと多くの人が不平を言っていた)・おせち料理(我が家のおせちよりいいかも)。 ※12月31日の日の出の瞬間、黄緑色の太陽…グリーンフラッシュを見ることができた。
ブリッジ見学 comunica | 2014年12月31日 2014年12月31日 予め予約をして、通常見ることのできないブリッジを見学させてもらった。ブリッジは最上階の船首の部分にある。 いろいろな機器がきれいに配置されていた。広い海ではほとんど自動で運転されているとのこと。今はちょうど大西洋の真ん中あたりで、レーダーには半径20キロ以内に一隻の船も表示されていなかった。 精密なGPSが現在の緯度・経度を表示している。 ブリッジには航海士と操舵士の2名が常駐。船長は特別の時、入出港時や緊急時のみ。航海士が指示をし、操舵士が舵を操る。 見学時は女性の航海士。日本の船では女性の航海士は認められていない。オーシャンドリーム号はパナマ船籍なので女性の航海士がいるとのこと。 日本にはまだまだ遅れている部分があるね。
グリニッジ子午線(経度0度)通過 comunica | 2014年12月30日 2014年12月30日 グリニッジ子午線(経度0度)を通過。東経から西経の地域に入った。 今日の大西洋はとても穏やか。 日本は師走で慌ただしいのだろうな。
避難訓練 comunica | 2014年12月28日 2014年12月28日 月に一度の割合で、救命胴衣を着けて全員参加の避難訓練が行われる。訓練だからみんなのんびりとしているが、実際に起こったらパニックだろうな。起こらないことを祈っている。
ウォルビスベイ(ナミビア) comunica | 2014年12月27日 2014年12月27日 ナミビアは南アフリカの北東にある国で、日本の国土の約2倍の大きさ、通貨は南アフリカと同じ。鉱物資源と漁業が主産業。私自身事前知識の全くない国。 ツアーは「ナミブ砂漠観光」。アフリカの南部に砂漠のあることも知らなかった。 ウォルビスベイ港から見ると、そこにはもう砂漠が広がっていた。 【砂漠の表情その1】 ところどころに小さな草が見られる。そこに、砂漠の中で何千年も生きるという不思議な奇想天外といわれる巨大植物ウェルウィッチアがある。写真のものは樹齢2000年ぐらいだろうということ。植物分類学では「松」と同じ分類に入るということ。メスの木とオスの木があり、メスの木には松ぼっくりに似た実がついていた。 【砂漠の表情その2】 ムーンランドスケープ。まさに月面世界が広がる。映画「猿の惑星」のロケ地とのこと。 【砂漠の表情その3】 砂丘。さらさらの砂。登ろうとすると足がくるぶしぐらいまで埋もれてしまい、なかなか登れない。四つん這いになって登っている人もいた。砂丘の上にある点が人。 砂漠にはトイレがないので、青空トイレ。また隠れる木陰もない。段ボールでできた囲いがバスに用意してあったので、記念撮影。 砂漠の近くに、ナミビア第2の都市スワコプムンドの街がある。ドイツの植民地時代の面影のある美しい街。 鉱物資源と漁業が主産業の国ナミビア。砂漠ではウラン鉱の採掘。行っているのは中国資本。ウォルビスベイは漁業の港町。港を9キロ拡大予定。それを行うのは中国資本。中国のアフリカ進出は目覚ましい。 ナミビアでアフリカを離れる。アフリカのほんの一部を見ただけだけど、日本では味わうことのできない広大な自然に圧倒された。また、あまりにアフリカのことを知らなさすぎることもよく分かった。