那古野が名古屋になったの??
コムニカの所在地は、名古屋市西区那古野(なごの)1-15-18 那古野ビル南館210です。町名は那古野(なごの)です。


「那古野」の由来は、一説によるとこの地方の方言で霧のことを「なご」と呼び、かって湿地帯であったこの一帯を「なごの降る野」として、こう呼んだと伝えられています。
那古野は広い地域だったようで、「那古野」交差点は名古屋駅の近くにあり、那古野神社は名古屋城の外堀通りにあります。
那古野のことを調べていて、那古野神社がちょっと離れているけど名古屋城の外堀通りにあることを発見したので、行ってみました。


立札には次のように書かれています。
那古野神社(なごやじんじゃ)
延喜十一年(911)の創建といわれ、すさのうのみことを祭神とする。もとは天王社又は亀尾天王社ともいい、城内三の丸にあった。慶長十五年(1610)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤でもって神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られた。明治九年(1876)現在地に移され、明治三十二年那古野神社と改称された。
かつて六月十五・十六(現在は七月十五・十六日)の例大祭には車楽(だんじり)が曳きだされ、またきんりんからも山車が集まって、夏の城下町名古屋を鮮やかに彩った。
名古屋市教育員会
那古野を「なごや」と呼んで、名古屋の氏神と言っています。でも那古野神社の名前が付けられたのは明治になってからのようです。
那古野が名古屋になったということではなさそう。那古野と名古屋は同じ意味で使われているのかな?
また、名古屋城の二の丸庭園には那古野城跡があります。
今川氏親(今川義元の父)築城。30年ほど存続後廃城となりその跡、名古屋城になったということ。一度ゆっくり見に行ってみたい。
結局、那古野と名古屋の関係は?
AIに尋ねてみました。
名古屋という地名の由来には諸説ありますが、有力な説の一つに、地形や気候に関連する「なごやか」という言葉から来ているというものがあります。また、「那古野」という古い地名が変化したという説や、漁師の集落が「ナコヤ」と呼ばれていたことに由来する説などもあります。
私は、「那古野」という古い地名が変化したという説を支持したい。