円頓寺商店街には江戸時代から2つの寺院と1つの神社がある
円頓寺商店街の平日は人通りも多くなく、静かだ。


円頓寺交差点より商店街に入って、すぐの左に商店街の名前の由来ともなっている円頓寺がある。


円頓寺の立札には次のように書かれている。
日蓮宗。承応3年(1654年)普敬院日言上人により創建。当初は普敬院と称したが、圓頓寺と改められた。
本堂脇の堂には、子どもの守護神にと藩祖義直公の側室より寄進された鬼子母神像を安置している。名古屋城天守閣棟木の余材で刻まれたこの像は、毎月18日に公開される。
もう一つの寺院は慶栄寺である。
門が閉まっていて、残念ながら中を見ることはできない。


慶栄寺の立札には以下のように書かれている。
由緒ある茶室があるようだ。
慶栄寺は阿原山と号し、真宗大谷派の寺院である。
太子堂は文化元年(1804)奈良元興寺五重塔の古材を用い、住職義締が建立したといわれる。
宝形造桟瓦葺、二畳台目の茶室で、床の奥に太子像を祀る。
松濤庵は京都東山から移したもので、足利義政好みと伝えられる。六畳台目、桟瓦葺の数寄屋造りで江戸末期の手法が施されている。
名古屋市教育委員会
商店街を歩いていて、目をひくのは赤い灯篭の並んでいる金毘羅神社だ。


金毘羅神社の立札には次のように書かれている。
大国主命(おおくにぬしのみこと)を主祭神とし須佐之男命(すさのうのみこと)、加具土命(かぐつちのみこと)を配祀として祭る。名古屋城築城当時より城内三の丸との重臣大道寺氏邸に祭られていたが、安政六年(1859年)この地に移された。
毎年十月十日に大祭が行われる。
神社には、ユニークな名古屋弁おみくじがある。
おみくじをひいてみた。


おみくじには次のように書かれていた。
迷わんでぐっと心を鎮めよまい
こっちが良ければあっちが悪いんだて
ここで一番心を決めて進めば輝く明日が待っとるでよ
商売がどえりゃええで
「商売がどえりゃええで」と出たが、そっと神様にお願いしないでオープンにしてしまったので、ご利益ないかな。
円頓寺商店街は江戸時代から、これらの寺院を中心に人の集まるところだったようだ。