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イースター島(チリ)

イースター島に近づくにつれ、海の色が紺碧になって、これまでの海の色で一番美しい色になった。深い青色だ。
イースター島はチリの海岸から3800km、タヒチから4000km、一番近くの島まで1800kmという、南太平洋に浮かんだ孤島。
最初にオランダ人がこの島を見つけた日が、イースターだったので、イースター島と名付けられた。島の人々はイースター島ではなく、ラパ・ヌイと呼ぶ。
なんと言ってもモアイが有名だ。ピースボートからもモアイ像が見えていた。
ラパ・ヌイには埠頭がなく、ピースボートは沖合に停泊して、テンダーボート(地元の漁船)で上陸する。スタッフに抱きかかえながら、テンダーボートに乗り移るのだが、波で揺れてスリル満点。
ツアーは「世界七不思議モアイ像の謎にせまる」。いっぱいモアイを見ようというツアーだ。
ガイドはオーストラリア人の自称、考古学者。
ヨーロッパ人が訪れた時には、モアイ像はほとんど倒されていた。モアイを作るために島の木々を伐採したため、はげ山になり食糧不足に陥り部族間の争奪が激しくなり部族の守りの象徴であるモアイは倒されてしまったそうだ。モアイ戦争と呼ぶ。
最初に行ったのは、タハイ。タハイのモアイには、プカオと呼ばれる帽子のようなものをかぶり(本当は帽子ではなく、日本のちょんまげのような髪を結ったものらしい)、眼の復元されているモアイ像が立っていた。モアイの眼はマナ(霊力)を持つとされていたので、モアイを倒す時に破壊されたと言う。
モアイは、アフと呼ばれる台座の上に立てられている。アフは祭壇で、人骨が埋まっているものもありお墓として使われていたらしい。モアイ像は、海を背中に、村を見守る形で立っている。
次はラノ・ララク。モアイ像の製造工場だった場所。山の中腹にあり、ここでモアイ像が作られ島中に運ばれた。土に埋もれていたり、切り出し途中だったり様々なモアイ像が400体ほどもある。モアイ像の顔はそれぞれに生前の人をかたどっていて個性的だ。
アフ・トンガリキは最大の15体のモアイ像が立っている。ここのモアイ像は、モアイ戦争や1960年チリ地震の津波で多大な被害を受けて倒れていたものを、日本の大手クレーン会社「タダノ」が修復・復元した有名な場所。
モアイの前の広場には、馬がゆったり草を食んでいた。ラパ・ヌイでは馬が自由に放牧されていて車の前を渡ったり一緒に伴走したりしていた。馬の糞を踏まないように常に足元に気を付けていなければならなかった。
モアイ像は当時の有力者・権力者を模している。お腹が出ていて、爪が長い。美味しいものをいっぱい食べて仕事をしていなかったらしい。
最後にピースボートが停泊しているアナケナに戻り、船からも見えていたアナケナのモアイを見る。
夜は船内で、ラパ・ヌイの歌と踊りのショーがあった。女性の踊りはフラダンスに似ていた。男性の踊りは戦いの踊りで激しくパワフル。写真のおばさんはセクシーというより可愛らしかった。