最後の寄港地、ガナルカナル島ホニアラ。
太平洋戦争の日米激戦地、多くの戦死者を出したことで有名な島。
ピースボートは20年ぶりの寄港。戦後70年を記念しての寄港。
観光地ではない島。
船のデッキで、「親戚の家の庭の土を持ってきた。亡くなったであろう場所に撒いてきてくれと親戚に頼まれた」と話している方がいた。70年経っても、まだ戦後は終わっていない。
ガナルカナル島ホニアラは小さな港町といった雰囲気。
船の前では、歓迎の演奏。竹筒の楽器はペルー(アンデス)の楽器に似ている。
ツアーは、「戦跡めぐりと首都ホニアラ観光」。
マダカスカルと同じミニバス(今回は冷房あり)に分乗して出かける。
まず、日本の平和記念碑。花輪とお線香があらかじめ用意してあった。ピースボートのような客船でも日本から10日もかかる南海の島で、何故戦争。そこに送り込まれて無残に殺された人の無念さ。なだらかな山と海の景色が美しいだけに、悲しさがつのる。
平和記念碑には、
「愛情・信頼・勇気・知恵になぞらえた四基の柱
この地球上東西南北
あらゆる地点に等しい顔を向け遠心的な力を秘め
国家や人種や宗教の枠を超え
心をこめて愛と安らぎの復活をここに祈る」と、設計者の碑文があった。
次に、血染めの丘に行った。ここは、激戦の中、日本の兵士たちの血で丘が真っ赤になったというところ。慰霊碑にお線香を手向ける。普段は草がぼうぼうと大きくなっている所のようだが、日本から多くの人が慰霊に来るということで、急きょ草刈りをして、未舗装の道路はミニバスが通れるように道の両脇の木が刈ってあった。忘れ去られた場所なのだろうな。
ルンガ飛行場に回る。ガナルカナルの戦闘は、まず日本軍が来てルンガ飛行場の建設を始める。米軍がそれを奪おうとしての戦闘。そして日本軍敗退。ルンガ飛行場はヘンダーソン飛行場となり、現在はホニアラ国際空港。
米国の平和記念碑は、一番景色のよいところに建てられている。戦勝国の特権だ。
ガナルカナル島の人々はどんな気持ちだっただろう。
よそ者が勝手に来て、殺し合いをしていくなんて。やむを得ず米国側に手を貸した人は英雄となって像が立っている。それが戦争だよね。
戦争の遺物はあちこちにあった。予想していたよりは、片づけられてしまっている感があったが。
そして、ホニアラ観光。観光地でないホニアラはほとんど見るところがなかった。
昼食はお芋中心。タロ芋(里芋のおおきなもの)、さつま芋。主食は芋のようだ。
市場にも芋が一杯。
街を外れると、昔ながらの高床式の住居が多い。電線のないところを見ると電気は来ていないようだ。
よそ者の私たちに、子供たちが寄ってくる。子供たちの笑顔は素敵だ。
物質的に恵まれていないところの子供たちの方が、生き生きと感じられる。「豊かさとは何か」と、この航海で考えさせられた。