モアイ作り

ラパ・ヌイ(イースター島 住民約5000人)には、ピースボートの800人が一度に上陸できず、2日間に分けての上陸となった。
2日目は船に乗り込んできた現地のモアイ作りの先生に、作り方の手ほどきを受けた。受講料(材料費込 制作時間1時間)25ドル。
材料の石は、火山性の玄武岩(?)。石としては柔らかいものだが、意外に重い。
先生は「モアイ作り簡単ね」と言う。斧、のこぎり、のみ、やすりを使う。先生は簡単に削ったり、切ったりしていくが、相手は石だ。力を入れてもすんなりとは削れない。また、力任せにすると、壊れてしまいそうだ。
まず、あごのラインにのこぎりをいれ、頭になる部分を細くする。(途中経過の写真)
そして耳、眼、鼻、口、あごのくぼみを作って完成!
7割以上先生に作ってもらったようなものだが、「なかなかよい表情ね」と出来上がりに大満足。壊れないように大切に持って帰らなくちゃ。

モアイ作り-1
モアイ作り-2
モアイ作り-3

イースター島(チリ)

イースター島に近づくにつれ、海の色が紺碧になって、これまでの海の色で一番美しい色になった。深い青色だ。
イースター島はチリの海岸から3800km、タヒチから4000km、一番近くの島まで1800kmという、南太平洋に浮かんだ孤島。
最初にオランダ人がこの島を見つけた日が、イースターだったので、イースター島と名付けられた。島の人々はイースター島ではなく、ラパ・ヌイと呼ぶ。
なんと言ってもモアイが有名だ。ピースボートからもモアイ像が見えていた。
ラパ・ヌイには埠頭がなく、ピースボートは沖合に停泊して、テンダーボート(地元の漁船)で上陸する。スタッフに抱きかかえながら、テンダーボートに乗り移るのだが、波で揺れてスリル満点。
ツアーは「世界七不思議モアイ像の謎にせまる」。いっぱいモアイを見ようというツアーだ。
ガイドはオーストラリア人の自称、考古学者。
ヨーロッパ人が訪れた時には、モアイ像はほとんど倒されていた。モアイを作るために島の木々を伐採したため、はげ山になり食糧不足に陥り部族間の争奪が激しくなり部族の守りの象徴であるモアイは倒されてしまったそうだ。モアイ戦争と呼ぶ。
最初に行ったのは、タハイ。タハイのモアイには、プカオと呼ばれる帽子のようなものをかぶり(本当は帽子ではなく、日本のちょんまげのような髪を結ったものらしい)、眼の復元されているモアイ像が立っていた。モアイの眼はマナ(霊力)を持つとされていたので、モアイを倒す時に破壊されたと言う。
モアイは、アフと呼ばれる台座の上に立てられている。アフは祭壇で、人骨が埋まっているものもありお墓として使われていたらしい。モアイ像は、海を背中に、村を見守る形で立っている。
次はラノ・ララク。モアイ像の製造工場だった場所。山の中腹にあり、ここでモアイ像が作られ島中に運ばれた。土に埋もれていたり、切り出し途中だったり様々なモアイ像が400体ほどもある。モアイ像の顔はそれぞれに生前の人をかたどっていて個性的だ。
アフ・トンガリキは最大の15体のモアイ像が立っている。ここのモアイ像は、モアイ戦争や1960年チリ地震の津波で多大な被害を受けて倒れていたものを、日本の大手クレーン会社「タダノ」が修復・復元した有名な場所。
モアイの前の広場には、馬がゆったり草を食んでいた。ラパ・ヌイでは馬が自由に放牧されていて車の前を渡ったり一緒に伴走したりしていた。馬の糞を踏まないように常に足元に気を付けていなければならなかった。
モアイ像は当時の有力者・権力者を模している。お腹が出ていて、爪が長い。美味しいものをいっぱい食べて仕事をしていなかったらしい。
最後にピースボートが停泊しているアナケナに戻り、船からも見えていたアナケナのモアイを見る。
夜は船内で、ラパ・ヌイの歌と踊りのショーがあった。女性の踊りはフラダンスに似ていた。男性の踊りは戦いの踊りで激しくパワフル。写真のおばさんはセクシーというより可愛らしかった。
モアイ-1
モアイ-2
モアイ-3
モアイ-4
モアイ-5
モアイ-6
モアイ-7

南半球の月

南半球の月は写真の形。
北半球の月と何かが違う。分かる?
写真は6日目ぐらいの月。三日月と上弦の月との間。
写真を回転、反転はしていない。
南半球の月

ペルーの海鳥

カヤオ(ペルー)入港時、船尾に多くの海鳥が集まってきていた。
ペルーはアンチョビ(カタクチイワシ)の漁場で、船のスクリューで海水がかきまぜられ、魚たちが浮き上がってくるのを、海鳥が狙っていたのではないかと思われる。
その中にはカモメに混じって、ペリカンもいた。
ペリカンはカモメに比べると、ずいぶん大きく、くちばしがとても長い。
カヤオの沖合にはペリカンの繁殖地となっている島がある。
また、ナスカ近くの海岸には、かわいい海鳥たちがいた。
ペルーの海鳥-1
ペルーの海鳥-2

カヤオ(ペルー)その3

4日目 クスコ観光
標高3,400mにあるインカの都クスコ。相変わらず空気の薄さを感じる。深呼吸を心がける。
丘からクスコの街を見下ろす。屋根が美しい。
インカの都としてクスコはピューマの形に作られた。
ピューマの頭の形のところにあたるサクサイワマン遺跡。
サクサイワマン遺跡は、大きな石(最大のものは361t)をジグザグに組み合わせ、3段重ねた要塞と考えられている。スペイン侵略後破壊されたが、大きな石は壊すことができなかったとのこと。
インカの神殿を壊して、ラ・コンパーニア聖堂が建てられた。
また、インカの神殿の中心「太陽の神殿」は、現在もサントドミンゴ修道院になっている。ただ石組みはそのまま残っている。窓は台形。石の間は剃刀も通さない。地震の際、修道院は崩れたが、インカの石組みはびくともしなかったとのこと。
ガイドのアウキさんは、「クスコの人は一応キリスト教になっているが、精神的にはインカが強く残っている」と話していた。
クスコの通りには、インカの時代に作られた精巧な石組みの石壁がある。
12角の石は代表的なもの。
文字・鉄・車輪・弓がなかったというインカ。素晴らしい建築技術。何が文明的か、一律的な価値観で判断しがちだが、多面的なものの見方の必要性を思う。
クスコのあちこちに、民族衣装を着て、アルパカを連れて写真を撮らせるおばさんがいる。アルパカはとっても可愛い。
ペルーのお酒は、トウモロコシを原料にした「ピスコ」、それをレモンと炭酸で割ったピスコサワー。アルコール度数が強い。
お茶は、「コカ茶」。これを飲むと高山病になりにくいそうだ。ただドーピングの対象になり、国外持ち出し禁止。
クスコ-1
クスコ-2
クスコ-3
クスコ-4
クスコ-5
クスコ-6

カヤオ(ペルー)その2

3日目、夜中2時起床。
マチュピチュ遺跡への強行スケジュール。
リマ → 空路(1時間20分) → クスコ(標高3,400m) → バス(2時間) → オリャンタイタンボ駅 → 列車(1時間30分) → マチュピチュ駅 → バス(30分) → マチュピチュ遺跡(標高2,300m)
クスコ空港へ着くと空気が薄い。眠いせいもあるが、頭の芯が重くなったような気がする。高山病になりそう。ヨガで習った深呼吸を繰り返す。
帽子とスカートのクスコおばさんの衣装を見て、アンデスに来たなあと思う。
バスでオリャンタイタンボ駅に向かう。途中、アンデスの山々の間に耕作地が広がる。
雨季で緑が多いせいもあるかもしれないが、大地の豊かさを感じる。
オリャンタイタンボ駅で乗る予定の列車ビスタドームが来るまで1時間半待つ。
小雨が降り、寒い。
やっと来たビスタドームに乗り込む。列車は天井がガラス張りで山の景色が良く見える。食堂車になっていて飲み物とスナックのサービスがあり、列車の旅のリッチさ満点。
景色を楽しみながらマチュピチュ駅に到着。
再びバスに乗り換え、ガードレールもない急な山道を登っていく。とっても怖い。
バスの終点から見下ろすと、マチュピチュ駅が小さく眼下にあった。
やっとマチュピチュ遺跡入口に午後2時到着。起床から数えると12時間かかっている。
幸いなことに雨は止んでいた。
入口から入って、少し歩くと視界が開け、写真で見ていたのとまったく同じ、天空都市マチュピチュが広がっている。感動!!
ガイドのアウキさんが熱心に説明してくれる。
何故ここに都市が築かれたか、さまざまな説があるけど、アウキさんは神官の養成所説を唱えていた。
急な斜面に段々畑が作られ、石垣部分が倉庫になっているところもある。
女性神官と男性神官は別れたところに住んでいて、神官たちの住居の入口には戸が取り付けられるようになっている。
太陽の神殿は遺跡の中心にある。
石組みは精密に計算されて作られており、大きな石と小さな石をうまく組み合わせることで強度を保っているとアウキさんは力説する。
段々畑は実際には意外に大きく、段数もたくさんある。写真の人が小さく見える。
灌漑用水路もそれぞれに通っている。
遺跡の建物跡も多数あり、それぞれが素晴らしい。
インカにとって6月の冬至の日が重要で、その日の太陽の方向を中心にこの遺跡は作られていると、アウキさんはいろいろ説明してくれた。
方角、磁場、星の位置、天の川、星座など考慮して作られているとのこと。
滞在時間2時間が予定されていたが、全部を回ることはできなかった。広い、大きい!
予想を大きく上回る素晴らしい遺跡だ。
逆の経路を辿り、その日はクスコ泊まり。ホテルには夜11時着。23時間に亘る強行軍だった。
マチュピチュ-1
マチュピチュ-2
マチュピチュ-3
マチュピチュ-4
マチュピチュ-5
マチュピチュ-6
マチュピチュ-7

カヤオ(ペルー)その1

ペルーの首都リマの外港カヤオに入港。
現在ペルーの人口約2800万人、リマ市の人口約900万人とのこと。年間降水量20ミリとほとんど雨が降らない。でもアンデス山脈より流れてくる川の水量が豊富で水には困っていないとのこと。
カヤオには4日間停泊。
ツアーは「マチュピチュ遺跡とナスカの地上絵4日間」。一番楽しみにしている場所だ。
1日目はリマ市の南にあるナスカの近くパラカスに向かう。バスで5時間。
リマの街にはオート三輪が走り回っていた。
ペルーの海岸部は基本砂漠だが、川沿いには緑があっていろいろな作物を耕作している。トウモロコシ、ジャガイモ、唐辛子などアンデス原産のものも多い。
他の南米の国々と同じようにスラムがある。スラムに住む人は人口の約28%とのこと。郊外の砂漠地域では、私有地ではないところに24時間以上居続ければ自分のものになるという法律があるとのこと。本当かな?ただ水も電気もない。
1日目はリゾート地パラカスでのんびり。ヒルトンホテルに泊まる。部屋でもwifiが利用できipadのゲームを堪能。シンガポール以来ほとんど接続できず使えなくなっていたゲームが多数あったが、すべて復活。
2日目、パラカスの近くピスコ空港よりセスナ(12人乗り)に乗り込みナスカの地上絵遊覧飛行。
地上絵の上空に来ると、副操縦士が「左、クジラ見えました」と日本語で教えてくれる。そして旋回して今度は右側の人が見ることができるようにして「右、クジラ見えました」と左右それぞれの人が見えるように操縦してくれる。
幾何学的な直線が多く引かれた中、クジラ、コンドル、ハチドリ、木、手などを見ることができた。
クジラ、コンドル、ハチドリの画像ははっきりするように画像処理がしてある。実際には全体に白っぽい。
飛行機よりみていると比較するものがないので、実際の大きさが分からないが「木、手」の画像を見るとトラックが一緒にあるので、その大きさを想像することができる。
「木、手」画像のところにトラックがあるように、ナスカ地上絵世界遺産の真ん中をパンアメリカンハイウエイが走っている。なんでこんな大事なところにハイウエイを通したんだ?!パンアメリカンハイウエイは、北はアラスカから南は先日訪れたウシュアイアまで南北アメリカを走っている。
アンデス文明の中でもインカ帝国よりずっと前、西暦300年から600年間ナスカが栄えていた頃に作られたという。この目で見ても、やっぱり不思議だ。
ペルーは日系の人が多い関係からか「おにぎり弁当」。大量に入っていた「おつけもの」が美味しかった。
ペルーではコカ・コーラより、インカコーラが飲まれている。甘いが、それ程刺激的ではなく毎日飲んでいた。
遊覧飛行後、また5時間をかけてリマ市までバス。
ナスカ-1
ナスカ-2
ナスカ-3
ナスカ-4
ナスカ-5
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マテ茶

南アメリカのお茶と言えば「太陽のお茶・マテ茶」。
アルゼンチンで購入したマテ茶3点セット。
マテの実をくりぬいて作ったカップ。先が茶こしになった金属製ストロー。そしてマテ茶葉。
茶葉は、細かい葉っぱだけでなく茎の部分も細かくして入っている。匂いを嗅いでみた。
古い家に入った時のような匂いがした。
カップに茶葉を入れてお湯を注ぎ、ストローをさして飲んでみた。
熱い!(金属製だから) そして苦い!
養命酒の甘い部分をなくしたような味。
濃いほうじ茶に苦みを加えたような味。
これぞ、南アメリカの茶。
日本に帰ったら、ご馳走します。
マテ茶-1
マテ茶-2

バルパライソ(チリ)

「天国の谷」の意、バルパライソ。
アメリカ西部金発掘で一獲千金を目指す人々が、ヨーロッパからマゼラン海峡を越えアメリカへ渡る途中の街として発展。チリ第2の都市。
街並みが世界遺産に登録されている美しい街。家がとてもカラフル。
港の周りだけが平地で、周りは丘陵地帯。急な坂を上るアセンソール(傾斜式エレベーター)が何本もかかっている。
チリは日本と同じように地震の多い国。港には「津波警戒地域」の立札があった。「つなみ」は世界の言葉だ。
ツアーは、「バルパライソ ウォーキング・ツアー」。
バルパライソの街を徒歩と公共交通機関で回る。
電車に2回、トローリーバスに2回、アセンソールに3回乗車。軽く50年以上は動き続いていると思われるトローリーバス。150年以上前から続いているアセントール。
古いものをとても大切に維持している。
丘に上るアセントールはとてもユニーク。軌道はあるが、傾斜式エレベーターだ。箱を斜め上方向に持ち上げる。坂が急になると箱も小さくなる。先に乗ったアセントール(写真左側)は坂の傾斜が緩やか。箱は大きく20人乗り。次に乗ったアセントール(写真右側)は坂が急。箱は小さく6人乗り。
丘を上るとカラフルな家が並んでいる。
壁の部分には様々なイラストがペイントされ青空美術館となっている。落書きも多いが。
チリワインとシーフードが美味しい、ルンルン気分にさせてくれる街だ。

※一生懸命作った千羽鶴は、「チリ軍政時代の歴史にふれる」ツワーの方が慰霊碑に持っていってくれた。
バルパライソ-1
バルパライソ-2
バルパライソ-3
バルパライソ-4

折鶴153羽

久しぶりに折鶴を折った。暇に任せて1日で153羽。
この勘定で行くと、1週間もあれば千羽になる。ひとりでは、続かないからとても無理だけどね。
千羽鶴を作って、次の寄港地バルパライソのチリ軍事独裁政権時に犠牲になった人々の慰霊碑に捧げるためのもの。
チリの歴史については全然知らなかった。チリは日本と正反対の位置にある遠い国。
千羽鶴