ボラボラ島(タヒチ)

サンゴ礁で囲まれた島ボラボラ島。「地上最後の楽園」とも言われ、憧れのビーチリゾートとして有名。
サンゴ礁の部分は、緑っぽい水色でそのグラデーションは刻々と移り変わり、それを見ているだけで時間を忘れそう。
船はサンゴ礁の切れ目(パス)の部分からサンゴ礁で囲われた内部まで入った。
ただ、大型船は着岸できないので、イースター島と同じく、船は沖合に停泊してテンダーボートで上陸。波が穏やかで、テンダーボートもちょっと大きかったので、救命胴衣も着けず、遊覧船気分で乗り込めた。
上陸地点もリゾート!
ツワーは特に取らず、フリー。
折角なのでビーチに海水浴に行く。
ホテルのプライベートビーチが多く、パブリックビーチはマティラ岬にあると言う。乗合タクシーで行く。
ビーチで海水浴の準備をしていると、地元の人が椰子の実を取って、椰子の実ジュースが飲めるように穴をあけてくれた。ほんのり甘かった。
ビーチは白い砂浜、水は透き通り緑っぽい水色、そしてずっと遠浅。そして椰子の木。
絵に描いたよう。
先に来ていた人から、「300mほど沖にサンゴ礁が残っていて、熱帯魚がいっぱいいる。歩いて行けるよ」と聞き、ビーチサンダルを履いたまま、歩いて沖へ。
耐水性のカメラでなかったのが残念。
黒っぽいサンゴの周りに水族館で見る、青や黄色、白黒縞々の魚たちが群がっていた。水中眼鏡を借りて覗いてみたら、本当にあざやかな色の魚たちだった。
近くには監視員がいて、サンゴに触れないように見張っていた。
水中ウォークで疲れた。本当に遠浅の浜だ。
後は、海を見ながら休憩所でのんびりしていた。
近くにインターコンチネンタル ル・モアナリゾート ボラボラというリゾートホテルがあり、覗きに行った。新婚さんに人気の水上コテージはパンフレットの様。1泊10万円という噂。
パブリックビーチは往復タクシー代が10ドル。すごくリッチな気分で帰ってきた。
ボラボラ島の寄港が終わり、残りの寄港地はガナルカナルのみ。
旅の終わりが近づいた気分を味わいながら、ボラボラ島を後にした。
ボラボラ-1
ボラボラ-2
ボラボラ-3
ボラボラ-4

パペーテ(タヒチ)

タヒチの首都パペーテに到着。イースター島に比べてしまうからかもしれないが、都会だ!
久々に歓迎の音楽が迎えてくれた。
南国の楽園。観光地だ。
ツアーは、「タヒチ島観光」。タヒチ島をぐるりと一周する。ガイドさんは日本人。通訳を介してではなく、直接日本語で説明してくれる。またこちらからも、いろいろ質問もできてよかった。
椰子、マンゴー、バナナなど南国の木々が一杯。パンの木は初めて見た。大きなパン木の実が実っていた。年間に200個ほどの実をつけるとのこと。味は芋に似ているらしい。家の庭にパンの木と、バナナの木があれば食べていけるそうだ。
まず訪れたのは、タヒチ博物館。昔の船の模型やモアイのお兄さんにあたるティキなどが展示してある。同じポリネシア文化圏。博物館にあったティキは高さ約3mの木製で、家の守り神とのこと。木製だけでなく、石で造ったものなどもある。
そしてマラエ(ポリネシア伝統の祭壇)、マナ(霊力)を高める儀式をしていたところ。山の懐のホットスポットだ。モアイに似たティキにもマナの霊力を与えていた場所らしい。
続いてバイパヒガーデン(植物公園)。日本では温室の中にあるPagoda flowerなど南国の花々が、普通に咲いていた。公園内を回っていた時、急にスコール。木陰で雨宿りしたがビショビショ。雨に濡れた水蓮は美しかった。
バスに乗り込む時には、もう雨は止んでいた。
島をぐるりと回り、波が激しく打ち寄せる場所に、アラホホの潮吹き穴がある。打ち寄せた波が、溶岩の岩にぶつかり入り込んだ海水が溶岩に空いた穴から逆噴射している。すごい迫力。音もすごい。
そしてパペーテの街が見渡せる、ビーナス岬。
パペーテの街に戻り、マルシェ(市場)に行った。タヒチはフランス領(現在は自治領)のため、公用語はフランス語。なので、市場はマルシェ。花屋さんが大きな場所を占めていた。何故か花束には熊のぬいぐるみが付いていた。
また雨が降ってきたので、カテドラル(教会)で雨宿り。カテドラルのステンドガラスは椰子の木になっていた。
ガイドさんが、「タヒチは観光に来るには素敵なところです。ただずっと住むのは大変。物価が高いから」と言っていた。消費税16%。一般的に物価は、日本の1.2倍ぐらいかな?
タヒチ-1
タヒチ-2
タヒチ-3
タヒチ-4
タヒチ-5
タヒチ-6

フラダンスと詩吟発表会

旅も残り3週間余りとなって、船内サークルの成果を発表する機会が増えてきている。
Aはパシフィック・ナイトのイベントの時に日頃のフラダンスの成果を披露した。フラダンスというより体操みたいだねと言われながら・・・手の動きを間違えないようにと思うと腰の動きは忘れ去られている。2カ月ではとても無理ね。
Yは詩吟発表会で、気持ちよく吟じていたように見えた。
フラダンスと詩吟

パレオの着方

ポリネシアやアフリカでは、パレオ(横180cm 縦90cmの1枚の布)を着ている。
旅のはじめ、モーリシャスでパレオを購入したが、着方が分からなかった。
やっと、タヒチ在住の水先案内人テティアラヒさんに、パレオの着方を教わった。
前でクロスさせて結ぶ形では、首に巻く前に、1回だけ巻いた場合は、恋人募集中で、2回クルクルと巻いた場合には恋人募集中ではないよ、という意味になるそうだ。
肩で結んだ場合、左肩で結んだ時には決まった人がいるよ、という意味。
腰の場合には、特に話はなかったなあ。
モデルが問題だなあ!!様になっていないね。
着方は、日本の着物よりずっと簡単だ。
パレオの着方

洋上大運動会

洋上大運動会が開催された。
キャッチコピーは「世代を超えて青春と感動を共有しよう!」
誕生月によって赤(3~5月)・青(6~8月)・黄(9~11月)・白(12~2月)組に分かれる。
開会式の参加人数が得点になる。合計700名ほどが集まる。乗客は約800名なので参加率とても高い。
みんな真剣勝負。応援にも力が入る。
1週間前から応援合戦の練習をしてきた。若者を中心に熱意がすごい!
なんと言っても綱引きが一番盛り上がる。腰を痛めないといいけど…
昼食は「カツカレー」。
自重して、応援だけで競技には参加しなかった。
大運動会-1
大運動会-2
大運動会-3
大運動会-4

ポリネシアトライアングル

ピースボートは今、ポリネシアトライアングルの中にいる。
ポリネシアトライアングルは、北端:ハワイ諸島、南東端:ラパ・ヌイ(イースター島)、南西端:オーテアロア(ニュージーランド)で、ヨーロッパの3倍の面積を持つ。
マレーポリネシア語派に属し、ポリネシア人は言語だけでなく、伝統文化・芸術・宗教・学術などもよく似ている。(先日の航路説明会での資料より)
そういえば、ラパ・ヌイのダンスはハワイのフラダンスに似ていたな。私のフラダンスはうまく腰が動かない。それに比べて、こちらの小さな子供たちの踊りも様になっていた。民族性かな?
船はラパ・ヌイからタヒチに向かっている。
ポリネシアトライアングル

モアイ作り

ラパ・ヌイ(イースター島 住民約5000人)には、ピースボートの800人が一度に上陸できず、2日間に分けての上陸となった。
2日目は船に乗り込んできた現地のモアイ作りの先生に、作り方の手ほどきを受けた。受講料(材料費込 制作時間1時間)25ドル。
材料の石は、火山性の玄武岩(?)。石としては柔らかいものだが、意外に重い。
先生は「モアイ作り簡単ね」と言う。斧、のこぎり、のみ、やすりを使う。先生は簡単に削ったり、切ったりしていくが、相手は石だ。力を入れてもすんなりとは削れない。また、力任せにすると、壊れてしまいそうだ。
まず、あごのラインにのこぎりをいれ、頭になる部分を細くする。(途中経過の写真)
そして耳、眼、鼻、口、あごのくぼみを作って完成!
7割以上先生に作ってもらったようなものだが、「なかなかよい表情ね」と出来上がりに大満足。壊れないように大切に持って帰らなくちゃ。

モアイ作り-1
モアイ作り-2
モアイ作り-3

イースター島(チリ)

イースター島に近づくにつれ、海の色が紺碧になって、これまでの海の色で一番美しい色になった。深い青色だ。
イースター島はチリの海岸から3800km、タヒチから4000km、一番近くの島まで1800kmという、南太平洋に浮かんだ孤島。
最初にオランダ人がこの島を見つけた日が、イースターだったので、イースター島と名付けられた。島の人々はイースター島ではなく、ラパ・ヌイと呼ぶ。
なんと言ってもモアイが有名だ。ピースボートからもモアイ像が見えていた。
ラパ・ヌイには埠頭がなく、ピースボートは沖合に停泊して、テンダーボート(地元の漁船)で上陸する。スタッフに抱きかかえながら、テンダーボートに乗り移るのだが、波で揺れてスリル満点。
ツアーは「世界七不思議モアイ像の謎にせまる」。いっぱいモアイを見ようというツアーだ。
ガイドはオーストラリア人の自称、考古学者。
ヨーロッパ人が訪れた時には、モアイ像はほとんど倒されていた。モアイを作るために島の木々を伐採したため、はげ山になり食糧不足に陥り部族間の争奪が激しくなり部族の守りの象徴であるモアイは倒されてしまったそうだ。モアイ戦争と呼ぶ。
最初に行ったのは、タハイ。タハイのモアイには、プカオと呼ばれる帽子のようなものをかぶり(本当は帽子ではなく、日本のちょんまげのような髪を結ったものらしい)、眼の復元されているモアイ像が立っていた。モアイの眼はマナ(霊力)を持つとされていたので、モアイを倒す時に破壊されたと言う。
モアイは、アフと呼ばれる台座の上に立てられている。アフは祭壇で、人骨が埋まっているものもありお墓として使われていたらしい。モアイ像は、海を背中に、村を見守る形で立っている。
次はラノ・ララク。モアイ像の製造工場だった場所。山の中腹にあり、ここでモアイ像が作られ島中に運ばれた。土に埋もれていたり、切り出し途中だったり様々なモアイ像が400体ほどもある。モアイ像の顔はそれぞれに生前の人をかたどっていて個性的だ。
アフ・トンガリキは最大の15体のモアイ像が立っている。ここのモアイ像は、モアイ戦争や1960年チリ地震の津波で多大な被害を受けて倒れていたものを、日本の大手クレーン会社「タダノ」が修復・復元した有名な場所。
モアイの前の広場には、馬がゆったり草を食んでいた。ラパ・ヌイでは馬が自由に放牧されていて車の前を渡ったり一緒に伴走したりしていた。馬の糞を踏まないように常に足元に気を付けていなければならなかった。
モアイ像は当時の有力者・権力者を模している。お腹が出ていて、爪が長い。美味しいものをいっぱい食べて仕事をしていなかったらしい。
最後にピースボートが停泊しているアナケナに戻り、船からも見えていたアナケナのモアイを見る。
夜は船内で、ラパ・ヌイの歌と踊りのショーがあった。女性の踊りはフラダンスに似ていた。男性の踊りは戦いの踊りで激しくパワフル。写真のおばさんはセクシーというより可愛らしかった。
モアイ-1
モアイ-2
モアイ-3
モアイ-4
モアイ-5
モアイ-6
モアイ-7

南半球の月

南半球の月は写真の形。
北半球の月と何かが違う。分かる?
写真は6日目ぐらいの月。三日月と上弦の月との間。
写真を回転、反転はしていない。
南半球の月

ペルーの海鳥

カヤオ(ペルー)入港時、船尾に多くの海鳥が集まってきていた。
ペルーはアンチョビ(カタクチイワシ)の漁場で、船のスクリューで海水がかきまぜられ、魚たちが浮き上がってくるのを、海鳥が狙っていたのではないかと思われる。
その中にはカモメに混じって、ペリカンもいた。
ペリカンはカモメに比べると、ずいぶん大きく、くちばしがとても長い。
カヤオの沖合にはペリカンの繁殖地となっている島がある。
また、ナスカ近くの海岸には、かわいい海鳥たちがいた。
ペルーの海鳥-1
ペルーの海鳥-2